「同業に転職したら、競業避止義務で訴えられる」。
転職の相談をすると、この話がかなりの確率で出てきます。
この記事は、その話が日本の法令と公的な資料の上でどこまで成り立つのかを確かめます。
体験談も、伝聞も、転職サイトのまとめも使いません。
使うのは、e-Gov法令検索で本文を開いた条文と、厚生労働省が公表しているPDFだけです。
先に結論を書きます。
労働者の競業避止義務を正面から定めた条文は、労働基準法にも労働契約法にも民法にも存在しません。
存在するのは、会社法が役員と支配人に課している競業の制限と、不正競争防止法が営業秘密に課している制限の2つです。
競業避止義務という言葉は、労働者向けの法律の条文には出てきません
最初に、いちばん驚かれる事実から置きます。
5つの法律の全文を検索した結果
e-Gov法令検索から5つの法律の本文を取り出し、「競業」という語が何回出てくるかを数えました。
| 法律 | 「競業」の出現回数 | 「競業避止」の出現回数 |
|---|---|---|
| 労働基準法 | 0回 | 0回 |
| 労働契約法 | 0回 | 0回 |
| 不正競争防止法 | 0回 | 0回 |
| 民法 | 0回 | 0回 |
| 会社法 | 8回 | 0回 |
数え方は、それぞれの法令本文をe-Gov法令検索のデータで取得し、タグを外した全文に対して文字列を数えるやり方です。
「競業避止義務」という語は、5つのどれにも1回も出てきませんでした。
会社法の8回は、役員と支配人に向けたものです
会社法で「競業」が出てくるのは、支配人・取締役・持分会社の業務執行社員の3か所です。
支配人は、会社の許可を受けなければ、次に掲げる行為をしてはならない。
(出典:会社法 第十二条(支配人の競業の禁止))
取締役は、次に掲げる場合には、株主総会において、当該取引につき重要な事実を開示し、その承認を受けなければならない。
主語は「支配人」と「取締役」です。
一般の従業員は、この2つの条文の主語になっていません。
⇒ 役職によって、依拠できる条文があるかどうかが変わります。
出発点に置かれる憲法の条文
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
(出典:日本国憲法 第二十二条第一項)
条文は「何人も」と書いています。
制限がかかるのは「公共の福祉に反しない限り」という一言の側です。
在職中の競業避止義務は、厚生労働省の文書に定義が書かれています
条文が無い代わりに、官庁の文書には定義があります。
副業・兼業の促進に関するガイドライン
厚生労働省の「副業・兼業の促進に関するガイドライン」(令和4年7月8日改定版)は、次のように書いています。
労働者は、一般に、在職中、使用者と競合する業務を行わない義務を負っていると解されている(競業避止義務)。
読みどころは2つあります。
1つ目は「在職中」と書いてあることです。
2つ目は「解されている」と書いてあることです。
条文があるという書き方ではなく、そう解釈されている、という書き方になっています。
同じガイドラインが、義務の中身を限定しています
競業避止義務は、使用者の正当な利益を不当に侵害してはならないことを内容とする義務であり、使用者は、労働者の自らの事業場における業務の内容や副業・兼業の内容等に鑑み、その正当な利益が侵害されない場合には、同一の業種・職種であっても、副業・兼業を認めるべき場合も考えられる。
ここが、この記事でいちばん大事な一文です。
判定の基準は「同じ業種かどうか」ではなく、「使用者の正当な利益が侵害されるかどうか」だと書かれています。
しかも、同一の業種・職種であっても認めるべき場合がある、とまで書いてあります。
⇒ 業種が同じだという理由だけでは、この文書の基準を満たしません。
退職後の競業避止義務は、モデル就業規則には規定例が置かれていません
ここで、在職中と退職後の差がはっきり出ます。
モデル就業規則を全文検索しました
厚生労働省が公表しているモデル就業規則のPDFを開き、本文全体で「競業」という語を数えました。
出てきたのは、副業・兼業の条文(第70条)と、巻末の裁判例の紹介の2か所だけです。
裁判例を紹介している箇所の見出しは「参考:在職中の競業避止義務に関する裁判例」でした。
退職後の競業避止義務についての規定例は、このモデル就業規則には置かれていません。
一方で、秘密保持のほうは退職後まで書いてあります
在職中及び退職後においても、業務上知り得た会社、取引先等の機密を漏洩しないこと。
同じモデル就業規則の中で、秘密保持だけが「退職後においても」と書かれています。
⇒ 国が示している標準形では、退職後まで残るのは秘密保持であって、競業の禁止ではありません。
在職中の競業避止義務の裁判例として挙がっているもの
労務者は、使用者との雇用契約上の信義則に基づいて、使用者の正当な利益を不当に侵害してはならないという付随的な義務を負い、原告の就業規則にある従業員の忠実義務もかかる義務を定めたものと解される
(出典:モデル就業規則「参考:在職中の競業避止義務に関する裁判例」(協立物産事件・東京地判平成11年5月28日)|厚生労働省)
根拠として挙がっているのは条文ではなく、雇用契約上の信義則です。
競業避止義務が就業規則に書いてあるとき、それが契約になる条件
就業規則に書いてあれば自動的に効く、という構造ではありません。
労働契約法第7条が条件を書いています
労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。
(出典:労働契約法 第七条)
条文が並べている条件は2つです。
1つ目は「合理的な労働条件が定められている」ことです。
2つ目は「労働者に周知させていた」ことです。
見たことのない就業規則の条項は、この2つ目の入口で止まる可能性があります。
周知は労働基準法106条の義務でもあります
労働基準法第106条第1項は、使用者に対し、この法律及びこれに基づく命令の要旨と就業規則を、常時各作業場の見やすい場所へ掲示するなどの方法で労働者に周知させなければならないと定めています(労働基準法 第百六条)。
⇒ 就業規則は、請求しなくても見られる状態に置かれているのが法律上の前提です。
就業規則そのものの作成義務は10人以上から
常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。
(出典:労働基準法 第八十九条)
同条が並べる項目のうち、第3号は「退職に関する事項(解雇の事由を含む。)」です。
第10号は「前各号に掲げるもののほか、当該事業場の労働者のすべてに適用される定めをする場合においては、これに関する事項」です。
⇒ 競業避止の条項を置くなら、この第10号の枠に入ることになります。
就業規則の作成には意見聴取の手続がついています
労働基準法第90条第1項は、就業規則の作成又は変更について、事業場の労働者の過半数で組織する労働組合、それが無い場合は労働者の過半数を代表する者の意見を聴かなければならないと定めています。
労働契約法第12条は、就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とすると定めています。
労働契約法第13条は、就業規則が法令又は労働協約に反する場合、その反する部分については第7条・第10条・第12条を適用しないと定めています。
競業避止義務とは別に、不正競争防止法が営業秘密を止めています
ここからは、契約ではなく法律そのものが働く領域です。
営業秘密の定義は3つの条件です
この法律において「営業秘密」とは、秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう。
(出典:不正競争防止法 第二条第六項)
| 条文の言葉 | 一般に呼ばれている名前 |
|---|---|
| 秘密として管理されている | 秘密管理性 |
| 事業活動に有用な技術上又は営業上の情報 | 有用性 |
| 公然と知られていないもの | 非公知性 |
3つのうち1つでも欠ければ、条文の定義に当てはまりません。
退職者に効いてくるのは第2条第1項第7号です
営業秘密を保有する事業者(以下「営業秘密保有者」という。)からその営業秘密を示された場合において、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密を使用し、又は開示する行為
(出典:不正競争防止法 第二条第一項第七号)
この号には「不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で」という条件が付いています。
目的が要件になっているので、転職したという事実だけでは条文に当たりません。
条文が用意している効果は3つあります
第3条第1項は、不正競争によって営業上の利益を侵害され、又は侵害されるおそれがある者に、侵害の停止又は予防を請求する権利を与えています。
第4条は、故意又は過失により不正競争を行って他人の営業上の利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めに任ずると定めています。
第21条第1項は、営業秘密に関する一定の行為について、10年以下の拘禁刑若しくは2000万円以下の罰金、又はその併科と定めています。
なお第15条第1項は、営業秘密を使用する行為に対する差止請求権について、事実と行為者を知った時から3年、行為の開始の時から20年で時効により消滅すると定めています。
⇒ 競業避止の特約が無くても、営業秘密の持ち出しはこの法律で止められます。
⇒ 逆に、頭の中に残った一般的な知識や技能は、3つの条件を満たす情報とは別のものです。
競業避止義務と、辞める自由(民法627条)はどう並ぶのか
退職そのものを止める条文は、民法の側にありません。
当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。
(出典:民法 第六百二十七条第一項)
期間の定めのない雇用であれば、申入れから2週間で雇用が終わると条文が書いています。
期間の定めがある場合は第628条が別に定めており、やむを得ない事由があるときは直ちに契約を解除できるとされています。
辞めること自体と、辞めたあと何をするかは、条文の上では別の問題として並んでいます。
退職のときに請求できる証明書
労働基準法第22条第1項は、労働者が退職の場合に、使用期間・業務の種類・その事業における地位・賃金又は退職の事由について証明書を請求したときは、使用者は遅滞なくこれを交付しなければならないと定めています。
同条第3項は、その証明書には労働者の請求しない事項を記入してはならないと定めています。
同条第4項は、あらかじめ第三者と謀り、労働者の就業を妨げることを目的とする通信や、証明書への秘密の記号の記入を禁じています。
⇒ 転職先への妨害にあたる行為には、この条文が正面から向き合っています。
競業避止義務の違約金は、労働基準法16条と並べて読む必要があります
誓約書に金額が書いてあることがあります。
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
(出典:労働基準法 第十六条(賠償予定の禁止))
条文が禁じているのは、違約金を定めることと、損害賠償額をあらかじめ決めておくことの2つです。
対象は「労働契約の不履行について」と書かれています。
退職後の競業避止の違約金にこの条文がどこまで及ぶのかを正面から説明した官公庁の文書は、公表されていません。
個別の誓約書にどこまで当てはまるかは、条文の文言と誓約書の中身を並べて読むところから始まります。
労働契約法が置いている2つの原則
労働者及び使用者は、労働契約を遵守するとともに、信義に従い誠実に、権利を行使し、及び義務を履行しなければならない。
(出典:労働契約法 第三条第四項)
労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない。
(出典:労働契約法 第三条第五項)
第4項は労働者と使用者の両方を主語にしています。
第5項の権利濫用の禁止も、同じく両方を主語にしています。
競業避止義務について、転職前に自分で確かめる手順
条文から導ける確認の順番を並べます。
| 見るもの | 何が分かるか | 根拠 |
|---|---|---|
| 就業規則の現物 | 競業避止の条項があるか、周知されていたか | 労働契約法第7条/労働基準法第106条 |
| 入社時と退職時の誓約書 | 特約として個別に合意した文言があるか | 労働契約法第7条ただし書 |
| 禁止されている行為の範囲 | 業種全体か、特定の取引先や職務か | 副業・兼業ガイドライン「正当な利益」 |
| 期間と地域の限定の有無 | どこまで限定されているか | 同上 |
| 代償の有無 | その制限に対応する手当や退職金の上乗せがあるか | 同上 |
| 持ち出した資料の有無 | 営業秘密の3条件に当たる情報を持っていないか | 不正競争防止法第2条第6項 |
就業規則が見つからないとき
労働基準法第106条第1項は、掲示・備え付け・書面の交付その他厚生労働省令で定める方法での周知を求めています。
常時10人未満の事業場には、そもそも作成と届出の義務がありません(労働基準法第89条)。
相談先
労働条件に関する相談は、都道府県労働局と労働基準監督署が窓口です。
厚生労働省は労働基準関係の情報を労働基準のページにまとめています。
副業・兼業まわりの資料は厚生労働省の副業・兼業のページに集まっています。
競業避止義務で、法令に定めがない3つの点
よく聞かれるのに、法令に定めがない点を並べます。
退職後の競業避止の特約が有効になる要件を、条文の形で定めた法令はありません。
「何年までなら有効」という年数も、法令の規定には無い数字です。
代償措置の金額の基準を示した法令の規定も、置かれていません。
競業避止義務についてよくある質問
同業他社に転職するだけで違反になりますか
厚生労働省のガイドラインは、同一の業種・職種であっても認めるべき場合があると書いています。
基準として書かれているのは「使用者の正当な利益が侵害されるかどうか」です(副業・兼業の促進に関するガイドライン)。
誓約書にサインしていなければ関係ありませんか
誓約書が無くても、営業秘密については不正競争防止法が直接働きます。
第2条第1項第7号は、営業秘密を示された者が一定の目的で使用・開示する行為を不正競争として挙げています(e-Gov法令検索)。
就業規則を一度も見たことがない場合はどうなりますか
労働契約法第7条は、就業規則が労働契約の内容になる条件として「周知させていた場合」を挙げています。
周知は労働基準法第106条第1項でも使用者の義務とされています。
海外赴任から戻って転職する場合も同じですか
今回たどった法令と資料には、赴任先の国によって扱いを分ける規定はありませんでした。
ただし、どの国の法律が適用されるかという問題は別にあり、この記事では扱っていません。
役員だった場合は扱いが変わりますか
会社法第356条第1項は、取締役が自己又は第三者のために株式会社の事業の部類に属する取引をしようとするときは、株主総会の承認を受けなければならないと定めています。
支配人については会社法第12条第1項が、会社の許可を受けなければ一定の行為をしてはならないと定めています。
まとめ:競業避止義務は「守るべき利益があるか」で読みます
条文と公的資料から言えることを3行にします。
- 労働基準法・労働契約法・不正競争防止法・民法の本文に「競業」の語は1回も出てきません。
- 厚生労働省のガイドラインが定義しているのは在職中の義務で、基準は「使用者の正当な利益」です。
- 退職後まで残ると国のモデル就業規則が書いているのは、競業の禁止ではなく秘密の保持です。
⇒ 確認すべきものは、業種が同じかどうかではなく、就業規則と誓約書の文言です。
⇒ そして、持ち出した資料があるかどうかのほうが、条文の側では重く扱われています。
この記事で使った一次資料
- 日本国憲法(e-Gov法令検索)
- 労働基準法(e-Gov法令検索)
- 労働契約法(e-Gov法令検索)
- 不正競争防止法(e-Gov法令検索)
- 民法(e-Gov法令検索)
- 会社法(e-Gov法令検索)
- 副業・兼業の促進に関するガイドライン(令和4年7月8日改定版)|厚生労働省
- 副業・兼業|厚生労働省
- モデル就業規則(全体版)|厚生労働省
- モデル就業規則について|厚生労働省
- 労働基準|厚生労働省
条文と資料の確認日は2026年9月12日です。
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